閲覧注意!やや過激です。もし高性能同時翻訳機が発明されたら、、
みなさん、こんにちは!!
私は元々英語教員志望です。たまには、というか、完全なる持論の教育論を書きましょう。
今日のテーマは「高性能同時翻訳機が発明されたら他言語を学習する必要はなくなるのか 」です!
僕の持論から言いましょう。なくなりません。「 えー!ドラえもんの翻訳こんにゃくみたいな道具があればもう英語勉強しなくてもいいじゃん!」と思う人は外国語学習の本質が分かってないのです。。
いや、というより、それはみなさんの責任ではありません。全国に何万といる英語教師ですら、その本質を理解していないと思っています。だから、単なる表面的な技術面のみの教授や、中学校、高校、はたまた大学と長年英語学習をしてきたにも関わらず、英語がよく分からないという現象が起こるのです。
僕は外国語学習の本質とは、「多様性の理解」だと思っています。たようせいのりかい??要は、この地球には色々な人種があり、色々な文化があるということです。
つまり英語教育の本質は英語が話せるようになることでも難しい長文が読めるようになることでもないということです!!
ゴールはもっとその先、いや、もっと単純なのです。
「英語って日本語とは違う言葉なんだな。僕たち、私たちとは違う言葉を話す人がこの世界にはいるんだな 」と気づき、異なるものや世界に興味、関心を持ち、理解しようとする態度が一番大切なのです。
考えてみて下さい。同じ日本人でも地域によって私たちの言葉には方言がありますね。私の出身地は広島ですが、語尾が「じゃけー 」や「じゃろ 」となります。このような話し方をする人に東京で出会ったとしましょう。すると「広島出身ですか? 」と思わず聞きたくなります。
福岡の人は語尾が「やろー 」や「ったいね」みたいになりますよね。関西弁を聞くと、なんだか漫才を聞いているように聞こえますね。(関西の人はよく否定しますが、、)
相手が使う言葉を聞くと、なんだか育ちや街の文化までもが伝わってくるような気がしますよね。そう!言葉は生身の人間が使うものです。言葉は、文化や生活環境、考え方、などなど、人間を人間たらしめる要素と切っても切れない関係なのです。。
もう分かりますね。そう!英語や外国語を学習する一番の意義は、「相手との違いを理解する 」ことなのです。
たとえ翻訳こんにゃくが本当に発明されたとしても、私たちは違う文化や国の言葉を学習し続ける義務があると思っています。
僕は英語が好きです。というより英語という外国語に初めて出会った時、(幼稚園の時に親の影響でマイケルジャクソンの歌を聞いたのがたぶん英語との出会い)なんとなく、よく分かんないけども、日本語ではないなー、あー色んな言葉があるんだな、知りたいなー、かっこいいな、と子どもながらに思った記憶があります。あれが僕の英語好きの原体験だったのだなーと今思っています。
それでいいんです。はじめはまず、興味をもつことなのです。洋楽でも洋画でも、なんでもいい、単純に異なるものに興味をもつことが外国語学習のスタートであり、ゴールなのです。
違いや間違いを楽しむ、これこれが外国語教育の存在意義です。相手との違いや間違いを楽しめないから、違う相手を傷つけ、疎外し、いじめや無視に発展しまうのです。
僕は外国語教育はいじめの防止につながるとさえ思っています。
これから英語の勉強方法をシェアしていく上でまずは英語を勉強する意義について、大切なことを今日は書いてみました。あくまで僕の考えです。でも僕はそう思っています。
それでは、みなさんワクワクの1日を!!